3月13日、福島県宗教団体連絡協議会で講演。
その後、懇親会に。事前には、懇親会にまで参加するとは全く聞かされていなかった。しかし、かねて尊敬している地元神社界の指導者の方が、今回の講演者として私を推薦して下さったそうなので、素直に参加した。と言うより、お酒の場だから拒絶しなかった、というのが正直か。どちらにしても、参加して良かった。その席で、昭和63年に皇居勤労奉仕に参加された神職の方にお話を伺う機会を得た。同年8月だったか、とにかく昭和天皇が勤労奉仕団へのご会釈の為に、“最後”にお出ましになった時に奉仕されたそうだ。その後、間もなく昭和天皇はお倒れになり、111日間のご闘病の末、崩御された。だから、その方が奉仕された時には、崩御に繋がったガンが、既にかなり進行していたはずだ。それでも昭和天皇は、ギリギリまで奉仕団へのご会釈を続けておられた。陛下からご会釈を賜る場面では、複数の奉仕団の団長の中から1人選ばれて、万歳三唱の先導をする。その方は、昭和天皇への最後の万歳三唱の先導役を務めさせて戴いたと、感慨深そうにおっしゃった。その話を伺っていると、その時に奉仕に参加していた別の方がおっしゃるには、宮内庁から事前に「陛下のご負担になるから万歳三唱の後の『君が代』斉唱は控えるように」と、強く釘を刺されていたらしい。でも、その場になると自然発生的に、つい「君が代」を歌い始めてしまったそうだ。すると、帰りかけておられた昭和天皇は立ち止まられ、奉仕団員の方にクルリと向き直られて、最後までお聞き下さったそうだ。その場にいた誰もが感銘した。その後、昭和天皇は病床に伏された。陛下のご病状を知り、その方は一層深く、昭和天皇のお気持ちを悟ったという。30年以上前の昭和時代末の話を、昨日の出来事のように語って下さった。平成からその次への御代替わりを控えた時期だけに、よけいリアルに思い出されるそうだ。私も感銘を受けた。尊い話を伺う機会を得て幸運だった。